勝算

『だって、言わなきゃどうなるかわからないでしょ?』 そう無責任に言った男は、悪気があるのか無いのか分からない顔で微笑んでいた。 別に、話を聞いて貰った覚えもなければ聞かれた記憶もない。 恐らく、勝手に推察してそんな風に言ってきた訳だ。 寧ろ何が問題かと言えば、 「まぁ…間違ってはいないんだよな」 ずばり言い当てられてしまう程態度に出ていた自分の方である。 煙草を吹かし、吹かし。 立ち上る煙はいつの間にか空気の中に溶けてしまう。 「けど、言ってどうなるもんでもない…だろうな」 寧ろ、事態を悪化させかねない。 それなら、胃が痛む思いをしてでも『彼女』の惚気話に付き合っておいた方が良い。 少なくとも今の関係は維持できる。 勝ち目のない戦いなんて、したくない。 それにはっきり言って、彼女の為にならないことをするのは気が引けた。 「あーあ、やってらんねぇよ…」 ふっと吐き出した息は、白く煙った。 / 「どうなるか分かっているから、言わないのも―――まぁ戦略と言えば戦略かなぁ」 それが決して勝利をもたらしはしないこと位、少し考えれば分かる話だ。 しかし、言ったところでどのみち負けが決定している。 「言わなきゃどうなるかわからない…ね」 蓋を開けないままにしておけば、結果から目を逸らすことが出来るのだ。 便利な逃げ道である。 そんな訳がないじゃないか。 理性ではきちんとそう判断できる。 無理な物は最初から無理なのであって、寧ろすっぱりと思考方法を変える方が余程建設的かつ合理的だ。 勝負ごとに勝ちたければ、無意味な負けを作らないことだ。 負けることも、弱みを見せることも、等しく自分を危険に晒す。 ありとあらゆる物から自分を守る為には勝たねばならない。 「そのはずなのに、まぁ不毛なレースにエントリーさせられちゃったもんだね」 思わず溜息を吐いて、そのことを酷く悔いた。 腹の奥底で煮えくり返っている色々な物が吐息と共に迫り上がってきたのだ。 「あーあ、やってられないよね…」 本来ならば、完全に傍観者としてベットできる立場だったのだ。 誰に賭けるか情報分析して、無責任に楽しんでいれば良いはずだった。 それが許されていたのに。 何故自分からこんな泥沼喜劇に片足を突っ込む羽目になってしまったんだろう。 そう、本当に泥沼喜劇でしかない。 余程恋という物に盲目であるか、或いは被虐趣味でも無い限り、こんな状態に耐えきれる訳がない。 「でも僕は、どっちでもなかった」 必須資格が欠けているのだ、本来僕は競技者にはならない予定だった。 なるつもりだって欠片程もなかった。 「…理不尽だよねぇ…世の中って」 自分の失策の根幹がどこにあるのか見いだせずに、ただ困るばかりである。 二度目の溜息を吐いた瞬間に扉が開いて、思わずそちらに振り向いた。 「…おう、お前か…」 渦中の人物の登場である。 「ああ、佐藤君…もう交替の時間だっけ?」 正直、つい考え事に時間を費やしてしまって殆ど休憩にならなかった。 仕事に差し支えがでないと良いが… 「いや、まだ少しだけ余裕がある」 ということは、厨房にだれも居ないということになる。 まぁ普段から空いている時間だし、構わないんだろうか。 「そうなの?でも佐藤君疲れてるなら俺が早めにはいっとこうか?」 同じ部屋に居ると余計な事ばかり考えてしまいそうだ。 まだ休みたいと駄々をこねる身体に鞭打って椅子から立ち上がる。 「いや…大丈夫だろ」 暗に、まだ此処に居ろ、と言われたような気がした。 彼の意図が読めず、困った。 「ああ、そう?」 聞き返してみたが、それ以上は何も言わなかった。 あと十分。 自分の休憩時間終了まで此処を出る理由が無くなってしまった。 かと言って特に話すこともないし、話してくれる気配もなかった。 時計の秒針の音さえ聞こえそうな沈黙に、酷く気まずい思いをする。 煙草を吸いたそうに箱をとんとんと叩く音。 定期的に発される声とも溜息とも呻きとも付かない何か。 そんな居たたまれない環境であと五分以上も過ごすなんて間が持たない。 …何だか、胃が痛くなってきた。 そう思いつつ彼の方を見ると、丁度彼もこちらを見ていたのか、バッチリ目があってしまった。 ああ、しくじった! 下手に逸らすのも変だし、かといってじろじろと眺めるのもおかしな話だし… 「…相馬」 「な、何かな」 声が震えそうになるのを気合いで捩伏せる。 「お前、調子悪いだろ」 ぎくっとした。 「いや、まぁそりゃ…全力で健康って訳じゃないけど…」 まぁ主に心を病んでいることはばれていないと思いたい。 というか、ばれた時が命日だろう。 そんな物騒なことを考えていたのに。 「…あんま無理すんなよ」 改めて、俺は彼のそういう優しさが苦手なのだと思った。

キッチンコンビ。紛う事なきキッチンコンビ。の筈。 二人とも強烈に片思いさんなので可哀想で 然し それが良い。(お前ほんと腐れ外道だな) あんなにほのぼのした話なのに私が書くとその要素が剥がれてしまって残念なことに。 2010/05/18