融解

不毛なのはよくよく分かっていた話である。 最初から、何もかもがうまく行かない。 何もかも。 / 「佐藤さん…いい人なんですけどねぇ…」 ついこの間入ってきたばかりの新人ウェイターが言う。 はきはきと喋る、可愛らしい後輩だ。 少し特殊な性癖…というか偏愛というか、そういった部分はあるにせよ真面目に働く良い子だと思う。 その新人にすら見破られる程、佐藤君の態度は露骨だった。 「いい人だよね、彼。でも何ていうか…いい人止まりな気がするよね…」 苦笑しつつ返した。 紛れもない事実だと思う。 自分の観察力にはそれなりに自信を持っているし、長い間一緒の部署で働いていれば自ずと分かるものである。 そこに幾分かの希望的観測が含まれていることも、うっすらとは分かっているのだけれど。 「…いい人過ぎて…駄目なんでしょうかねぇ…」 我が事のように溜息を吐く少年を眺めつつ、少しばかり反省する。 そうだ。 同僚ならば上手く行くことを願うべきなのであって、現状を維持することを望んではいけないのだ。 面倒で、誰も得をしない状態など維持してどうするんだ。 しかし。 誰も彼もさっくりと関係を割り切れるような人間ばかりではないのだ。 剰え、当面は同じ職場で働かなくてはならない面々だ。 気まずい思いを抱えながらの仕事なんてごめんじゃないか。 ―――苦しいのも、痛いのも、辛いのも、勘弁…なんだけどなぁ。 手許に視線を落とすと、水仕事で随分とささくれた指が目に入った。 組み合わせて、解いて、どれもしっくりこないまま、ただ軽く手を重ねるだけに留める。 「まぁ、いい人…だし、或る意味凄く優しいんだろうけど」 そう零すと、酷く察しの良い新人は、 「けど、それじゃ駄目なんですね」 と繋いだ。 「うん、そういうこと」 『彼』の優しさは、別に何の裏も意図も無いが故に痛みしか生まない。 正に横恋慕している最中の彼自身、手酷く傷ついているのだ。 壊さない、変えない優しさは恐らく、単に臆病だと言うには少しばかり 重すぎる。 ―――その優しさが、息苦しくて堪らない人間も居るんだけどね。 「相馬さんも、お疲れですか?」 顔を上げると、彼は僅かばかり困ったような表情でこちらを覗き込んでいたようだ。 改めて、察しの良い子だと思う。 「そうだね、ここ数日佐藤君が使い物にならないから―――」 ふと言ってしまってから、しまったな、と思う。 だが、しまった、と思った数瞬後には「別に大丈夫だ」という判断も降りた。 普通に考えれば何ら問題のない発言なのである。 「ああ、キッチンはそうでなくても人手不足気味ですもんねぇ…」 再度お疲れ様です、と言って一礼し、 「頑張って下さいね」 とだけ言い残して彼は休憩室を後にした。 「うん、まぁ…俺は頑張らない方が良いんだけどねぇ…」 深い意味はない。 彼はただ単に、労働状態について言っただけのことだ。 考えすぎるのも、問題だ。 その位きちんと分かっている。 「ほんとさ、あの人達を放っておいて―――溶けてなくなっちゃいたいよね」 机にべったりと上体を預ける。 溜息は吐きたくなかった。 いつも自分の目の前で溜息を吐く『彼』を思い出したくないからである。 「思い出したくない、って思ったってことは既にアウトなんだけどさ」 馬鹿げた話もある物である。 店長に片思いするチーフに片思いする佐藤君…に、片思いだって。 中々無いぐらいに―――最早潔い程に報いのない話である。 「これで店長が誰かに片思いしてたら大笑いだけど」 しかし、言ってみた物の一向に笑えなかった。 苦しいのも、痛いのも、辛いのも。 全部、嫌いだ。 「知らなきゃ、幸せだったんだろうけど」 せめて、もう少し隠そうという努力をして欲しかった。 勝手な言い分だ。 ああしかし、彼らのように不器用な連中にそんな器用な芸当出来る筈もない。 「俺だって別に器用じゃないはずなんだけどさぁ…」 そして静かに、そのままどろりと溶けて無くなれる事を願って目を閉じた。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。 しかしこればかりは赦して下さい。笑 違うの、最新話が悪かったの。 反省はしてる。 俺はキッチンの奴等をこういう目で見ていました。 すみません。 2010/05/18